【日航ジャンボ機墜落事故】 JAL123便のフライトレコーダーをもとにしたフラッシュ
■生存者発見、鮮明に 日航機事故から23年、県警隊員回顧
520人が犠牲になった日航機墜落事故から12日で23年を迎える。当時、群馬県・御巣鷹(おすたか)山の捜索には長野県警の機動隊員らも加わった。空から救助に向かい、生存者を発見した隊員らが、あの日を振り返った。
県警航空隊のパイロットだった丸山栄幸(よしゆき)さん(60)は、日航機が墜落した日の夜から松本空港に待機した。「早く行かないと」。はやる気持ちを抑え、13日の日の出とともに、県警ヘリ「やまびこ」の操縦かんを握った。
墜落地点を特定するための飛行。県境を越えて御巣鷹山の尾根にさしかかると、むき出しになった赤い山肌に黒く焦げた胴体が飛び込んだ。深い緑の山中で散乱する白い破片、くすぶる煙。「ダメかもしれない」と思ったという。
救助活動する2人の機動隊員を乗せるため、佐久市のヘリポートに戻った。気持ちが高ぶる2人を前に、丸山さんは「つらくて、何も言えなかった」。
「やまびこ」からワイヤを伝って降り立った柳沢賢二さん(52)。既に現場に到着していた地元消防団員が、強い日差しの下で茫然(ぼうぜん)と立ち尽くしている姿を鮮明に覚えている。
現場の広い範囲に人が横たわり、土をかぶっていた。「(生存者は)いないかも」と、一瞬絶望した。が、自らの任務を思い出し、谷間に足を進めた。その時、奇跡の光景が目に飛び込んできた。
残骸(ざんがい)の中から、腕らしきものが振られていた。「あ、あれ」。その場にいた全員が注目した。柳沢さんが「大丈夫だぞ」と叫ぶと、動きは止まった。客室乗務員の落合由美さん=当時(26)=だった。消防団員とともに覆いかぶさっていた周辺の部品を取り除き、汗だくになって救出した。
同じ場所から母子、少し時間をおいて別の場所から中学生の女の子を救出した。「生きていることが不思議だ」と驚き、喜び、そして期待を込めて、夢中で5人目の生存者を捜したという。
この2人は、墜落事故の2週間前に長野市で起きた地附山地滑り災害、前年の西部地震など数多くの災害現場へ出動した経験があった。丸山さんは「あんな現場は最初で最後だった」と振り返る。
丸山さんは今年3月の定年退職を前に、御巣鷹山の尾根のふもとの「慰霊の園」を訪れた。急な坂道を上り、険しい山を見上げると、当時の光景が思い出された。「大変な事故だったんだ」。あらためて感じた。
柳沢さんはこの救助活動で学んだ。「どんなに悲惨な状況でも、あきらめてはいけない」。懸命に生きようとする4人の姿は、今も脳裏に焼き付く。
「慰霊の園」で犠牲者の御霊を供養する慰霊登山は、今年も8月12日に行われる。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080812-00000002-cnc-l20
(12日に行われた追悼慰霊式の様子)
今から23年前の今日、日本のすべての新聞の1面は同じ事故についての記事で埋め尽くされました。日本航空のジャンボ機、JAL123便が群馬県の御巣鷹山に墜落したニュースです。
それは、死者520名、生存者4名という悲惨な航空事故でした。
今年7月に公開された『クライマーズ・ハイ』という映画のモデルになった事故です。
■JAL123便墜落事故、事故現場写真集サイト
(※ショッキング注意)
というサイトでは、当時発売された写真週刊誌に掲載された、生々しい事故現場の写真を見ることができます。引きちぎられた腕、木の枝に引っかかった遺体、炭になった人の形をした物。
生活が便利になること、同時に520人が移動できる交通手段は、520人の生命を奪うことにもつながります。
この事故の本当の原因はいまだにわかっていません。事故調査委員会はこの飛行機が1978年6月2日に、大阪国際空港に着陸しようとした際、操縦ミスによって滑走路に機体尾部を接触させるしりもち事故を起こし、その修理において、飛行機を作ったボーイング社がミスを犯したためと結論付けました。しかし、遺族や関係者からは、フライトレコーダーに残されていた、機長の「オールエンジンや」という言葉が「ボディーギヤ」とも聞こえること、そのシーンで「オールエンジンや」と言うことがふしぜんなことなどから再調査を願う声が上がっていますが実現していません。
ここにひとつのフラッシュがあります。墜落したJAL123便から発見されたフライトレコーダー(音声通信記録)をもとに、飛行経路や地形を当てはめたものです。
■JAL123便フラッシュ
(※音が出ます)
今これを読んでいる人の中には事故当時まだ生れていなかった人も多いと思います。
しかし、今から23年前、東京上空で、これは実際に起こっていたことです。
この事故は時間が経つにつれ遺族も高齢化し、風化してきています。しかし、忘れてしまっては、この事故を教訓に、安全対策に取り組む気持ちが薄れていって、やがてはなくなります。そうなれば、人間は同じような事故を再び起こします。
飛行機が落ちれば500人が死ぬということを、絶対に忘れてはいけません。忘れないことが悲劇を繰り返さないことにつながるのです。
普段は下ネタばかり配信している私ですが、画像や動画やフラッシュを紹介するサイトの管理人として、これだけは伝えておきたいと思い、この記事を書かせていただきました。
◆関連サイト・関連動画
▽日本航空123便墜落事故(Wikipedia)
▽日本航空 123 便事故 御巣鷹山 悲劇の真相
▽日航機御巣鷹山墜落事故より18年
▽JAL123 Rescue
▽JAL123 interview
▽『ザ・トップテン』冒頭 1985年8月12日
▽日航機墜落 それぞれの17年