2ntブログ

4年後に無差別殺人が起こることを容認する福島地裁

無修正高画質動画・サンプルは無料で見放題!


「出たら無差別殺人する」と明言した被告でも懲役4年

福島県郡山市の結婚相談所に昨年9月、従業員を殺害する目的で大型ナイフなど刃物12本を持って押し入ったとして、殺人予備などの罪に問われた同県須賀川市の元派遣社員の男(34)の判決で、福島地裁郡山支部(竹下雄裁判長)は15日、求刑通り懲役4年を言い渡した。

公判で男が「社会復帰するつもりはない。世間に出たら無差別殺人をする」「(また同じようなことを)100パーセントやる」と供述したことなどから、竹下裁判長は「再犯の可能性は高く、厳罰をもって臨むほかない」と断じた。

また竹下裁判長は大量のナイフなどを携帯していたことを挙げ「一歩間違えれば最悪の事態になったことも考えられ、犯行は殺人未遂に比肩する」とも指摘した。

判決などによると、男は、思うように女性を紹介されないことなどに恨みを募らせて昨年9月9日、大型ナイフや先端をとがらせたフェンシングの剣などを持ってJR郡山駅近くの結婚相談所に侵入。刃物などを振り回したため、駆けつけた警察官が発砲して取り押さえた。

http://www.zakzak.co.jp/top/200901/t2009011534_all.html#



この記事では名前が伏せられていますが、この男は米倉穣という34歳の元派遣社員の男です。
米倉は昨年12月に行われた論告求刑公判で、裁判官に「服役後、また同じようなことをしたい気持ちはあるか?」とたずねられ、「100パーセントある。社会復帰するつもりはない。世間に出ても無差別殺人を起こすだけ」とキレ気味に語り、また「学生時代のいじめや会社での嫌がらせなど、30年の恨みがある。結婚相談所だけでない」「結婚相談所の従業員らに対しても事件の時以上に恨みがある」などとも述べました。

100パーセント無差別殺人をすると言っているのに懲役4年とは何事でしょうか。これじゃあ、怖くて結婚相談所の従業員はまともに生活ができないでしょう。これが日本の裁判です。

殺人予備の法定刑は懲役2年です。
それに検察は微罪をむりやりくっつけて、どうにか懲役4年まで持っていきました。
今の裁判ではそれしかできないのです。出所後無差別殺人をすると本人が言っているのに。

これは常識的に考えて、どう考えたっておかしいですよね?

そういうのを減らすため、裁判員制度が導入されます。
しかし、これも非常に大きな問題を抱えています。
いちばん大きな問題は、いきなりくじ引きで選ばれた裁判員が、殺人事件の現場の死体の写真とかを見ないといけないことです。裁判官はそれをわかっていて裁判官になったわけだし、見慣れています。しかし、裁判員はそんなもの見慣れていません。精神的ショックを受ける可能性があります。現に、昨年4月、会社員の東城(とうじょう)瑠理香(るりか)さん(当時23歳)を殺害したとして、殺人や死体損壊などの罪に問われた元派遣社員、星島貴徳被告(34)の第3回公判が19日、東京地裁(平出喜一裁判長)で行われましたが、この中では東城さんの遺体の肉片や骨片の写真、遺体を切り刻んだ際の詳しい状況などがすべて公表されました。
こんなのをいきなり見ることは、ちょっと問題があります。

だから、裁判員制度も、よい影響はあるでしょうが、裁判官が判例にとらわれない判決を下せるようにした方がよっぽどいいんです。

米倉の結婚相談所の事件に話しを戻すと、もう無差別殺人をしない気持ちになったと、国民全員が納得できる客観的な理由が見つかるまでは、刑務所ではなくても、どこかに閉じ込めておいてもらわなければ困るんです。米倉を懲役4年にするということは、ライオンを街に放つことですよ。

また、あえて米倉の側に立って考えてみると、普通、本気で無差別殺人をしたいなら、反省したふりをして、4年後、釈放されてから実行するでしょう。ということは、感情を抑えられない自分を止めてほしいというアピールが「無差別殺人をする」という言葉になったのかもしれません。
しかし、裁判所にはそんなことは関係ない。殺人予備罪は懲役2年。判例ではだいたい4年くらい。ただそれだけ。

つまり被害者の考えも、犯人の考えも無視した判決が「懲役4年」なんです。

マニュアル通りに判決を選ぶのなら、小学生にだってできますよ。

民意に反した法律と裁判は、本気で見直さなければいけません。

4年後、本当に米倉が無差別殺人を起こしたら、竹下雄裁判長はどう責任を取るつもりでしょうか?


動画は無料で見放題!

関連記事

テーマ : ▲▽ (*´Д`*)ハァハァする瞬間 ▲▽
ジャンル : アダルト

コメントの投稿

Secre

罪刑法定主義を否定するなら、対案を出さなきゃないけません。
対案なき批判なら小学生にだってできますよ。

裁判官が判例にとらわれない判決を下せるようにした方がよっぽどいい。
というのが対案のつもりですが、もっと勉強して、しっかりした対案を考えなければいけませんね。

法定刑が2年なわけで
判例で刑期決めたんじゃないでしょ。
何のための罪刑法定主義か理解してたら
「判例にとらわれない判決」じゃ対案にならないの
わかると思うけど。

じゃあ、私が理解してないので、
教えてください。
お時間があるときでかまいません。
私は不勉強なので、みなさんから教わりたいのでお願いします。

知りたいなら自分で勉強しろよ。甘えるな

刑事裁判における裁判官の仕事は「被告人が過去に起こした事件について審判を下す」ことなんですよ。被告人が将来危険だからといって、永遠に閉じ込めておくことは出来ません。その理屈だと、100%安全な被告人だったら、懲役1日でもいいってことになりませんか?

被告人が正当な刑期をつとめて出所した後の防犯は、警察の役目です。

それぞれの人には、それぞれの役目があります。このブログの管理人さんに「世界平和の為に戦う」義務がないのと同じように、この気の毒な裁判官にも「被告人を永遠に閉じ込めておく判決を書く」義務も権限もないわけです。

この場合2点考えねばなりません。

まず一つはこの問題ある発言をした被告に対して現行法の範囲でどのような対処ができるのかという点。

もう一つはここ数年の裁判報道であきらかに量刑不足の法規が見受けられ、これを是正すべきという点。

既にコメントで指摘されたように罪刑法定主義から言えば現行法以上の厳しい罰則は与えられませんし本来2年のところを倍の4年に判決を下したのはむしろ権限の範囲内で最大限に努力したと取るべきです。

しかし現実問題被告の言葉からすれば4年での「更生」は難しく、できるとすればその4年の間に「被告の利益を損なわない法規」を成立させる、もしくは未成年や仮釈放の保護観察のような制度で行動を抑制する等現行法を逸脱しないで市民の安全を尊重する対処を緊急に論じる必要があると思います。
処罰や罰則等対象に不利益になることに関しては事後法は認められませんが、利益になることはすでに何例か認められております。
この場合「再犯を予防」することは本人の行動を制限するデメリット以上の利益を本人に与えますので論者によって多様の判断の違いはあるかと思いますが本人と社会双方「守らねばならない」のであれば大筋でそのような対処しか無いのではないでしょうか。

量刑の不足については早急に全体の底上げが必要です。
今回のような明らかに反社会的な言動への対処も不十分です。
行動自体よりも結果に重きを置くべきですし、情状酌量があるならば今回のように明確な悪意を明言した場合には量刑の増加も規定するべきです。
経済対策云々で国会が紛糾してますが平行して刑法の改正も進めるべきだと思います。犯罪の総数は急増してないらしいですが起っている内容がどうもモラル逸脱度合いを増しているように感じますので。

犯罪者憎し、裁判所憎しで目が曇ってませんか?

仮に裁判員制度下でこれと同等の裁判があったとしても、判決は同じようなものになると思います。

刑法に定められている量刑を超えることは出来ません。

それが出来るようになると、今度は国に都合の悪い人、社会にとって都合が悪い人は、微罪でも永久に閉じ込めておくことが出来るようになりますからね。

精神病院等に強制的に入院させるといった方法もありますが、それも「精神病である」という確かな根拠がなければ、単なる人権侵害ですので認められません。

どうやらあなたには「当該犯罪者」しか見えていないように思います。

もっともっとリアルに想像してみて下さい。あなたの考えるようなことが出来るようになった社会を。それはとても恐ろしい社会だと思いませんか?

みなさま、詳しい説明をありがとうございます。
完全にではないですが、大まかには私の意見の間違えている点は理解しました。
私は裁判長の責任を問うようなことを書いていますが、
それは見当違いでした。

しかし、純粋に、結婚相談所の職員は怖くてまともに生活できなくなるのではないかと思います。
だって、恨みは犯行当時より大きいと米倉は言っているのです。
この恐怖から逃げる手段が、引越しをして、名前を変えて生きていくしかないということになったら、絶対おかしいです。

「刑法の改正も進めるべきだ」というコメントがありますが、私もその通りだと思います。なんか、国会では漢字ゲームを出して楽しんでいますが、そんな場合ではないと強く思います。

やはり、この結婚相談所職員の恐怖をなくすためには、法律を作る国会がもっとしっかり、きびきびと動かなければならないということだと思うのですが、いかがでしょうか?

別に今回の懲役を長くする必要はありません。
新しく威力業務妨害の罪を適用し懲役を追加してやればいいのです。
出所の日が来たら同じ質問を繰り返し、まだ殺人の意図を示すようであればさらに逮捕。
これを永遠に繰り返せば良いのです。

なるほど。
その方法がありましたか。
それを確実に毎回こなせるように警察ができれば良いのですが、
実際できるでしょうか?
少し難しいようにも感じます。
出所した途端に聞くわけですよね。それができるかも難しそうだし、米倉が正直に答えるかも疑問です。
しかも、東京競馬場に爆弾を仕掛けたと2ちゃんねるに書いた犯人は、もう一度2ちゃんねるに殺人予告を書いて捕まっています。つまり、威力業務妨害なんかすぐに釈放される罪なんです。

それをずっと繰り返すことは現実的に可能かな? と思ってしまいます。

確かに、この被告のいってることを考えると、もっと長く刑務所に隔離しておいてほしい。と思うのも分かります。
でも、実際、無差別殺人を犯したわけではありませんし、「誰々を殺してやる」って言った人を殺人や殺人未遂などで裁けないように、この発言だけでは、やっぱり色々罪を増やして四年にするのが精一杯だったのではないかという気がします。
これ以上は法律とかの問題で難しいのではないでしょうか。
この被告が出所後、無差別殺人をしたなら、確かに「あの時、もっと重い罰を与えておけば」という批判も出ると思いますが、それはこの裁判長一人の責任としてしまうのは、ちょっとかわいそうな気がします。

殺人予備罪だからなあ
日本の刑法では検察も目一杯の求刑、求刑通りの判決だから地裁も目一杯

こいつが服役して、仮釈放時に脅迫で立件て手法はとれんもんかねー

本当に難しい問題だと思います。
法律通りに裁かなければいけないのが法治国家だし、
かといって、「無差別殺人をする」と言っている犯人を4年くらいで釈放するのも危険です。
やはり、刑法の改正が急務なのかなと思います。

心変わりするからいけるよ
前科がないんでしょ

警「また結婚相談所を襲いますか。」
米「はい。」
警「タイーホ」

まさか、これだけで威力業務妨害が成立するとでも?

今の法制度はこの判決を見ればわかるんです。
ようは、どうやったって懲役4年くらいなんです。

威力業務妨害に「はい」って警察に答えたくらいではならないし、
こうなごを焼き殺すって書き込んで捕まったってせいぜい罰金です。
でも、心変わりする確証なんかどこにもないです。
じゃあ、怖いじゃないですか。

怖い世の中を、怖くない世の中に変えなくていいんですか?

通りすがりだけど気になったので…

「三権分立」という実質面での問題点は一通り話されたようなので
司法権の範囲、警察権、一般人の逮捕権などの話や
治安維持法や不敬罪などの法の歴史は割愛しますが、

その上で司法や立法を考える場合に別の側面として、

「法というものは、現時点で法を犯していない(犯さずにすんでいる)
人間にとって都合のいい世界を構築するためだけに存在しているわけではない」

ということを不愉快でも、もう少し客観的に理解しておく必要があるように感じます。

(現実には、立法も行政もここ十数年その建前をどんどん崩し崩されているし
実際に一切の法を犯さずに生活している人間など存在しないですが)

大切なことは、
この男に自身の言動が与える他者への正負の影響に責任が伴ってるように、
我々にもまた自分の言動が他者へ与える正負の影響にも相応の責任が伴っているということです。

法や正義というものは、勧善懲悪的な青天井の善行を保証してくれるものではなく、
その過剰もまた別の悪行を生み出す土壌になります。

そういった歴史や現実を踏まえた上で、
「己と社会(他者含む)、他者と社会(己含む)」
という世の中の有り様をポジトーク的な視野から離れて考えるようになると、

国と法律と人間の関係性について、
さらに一歩踏み込んだ解釈や理解が出来るようになれるかも知れません。

>怖い世の中を、怖くない世の中に変えなくていいんですか?
 怖い世の中を怖くない世の中に変えると、別の意味で怖い世の中になる。
 と、いうことはご理解ください。
 罪刑法定主義や三権分立という法が持つ考え方は西洋からきたものです。
 西洋は昔は人治主義(人の判断でいくらでも刑務所に隔離できる政治体制)でしたが、その「判断」をする方の人間の都合で好き勝手ができたそうなので、民衆は困り、西洋では市民革命が起きました。
 市民革命が起こった後の世界では、好き勝手に政治が行われないように、立法・行政・司法に権力を分けたり(三権分立)。
 「判断する人間」の勝手な都合で刑罰を決められないように罪刑法定主義という法の考え方が出てきたそうです。
 だから罪刑法定主義の考え方は「法に書いてある行為はX量刑だけ罰せられる」というよりも「法に書いていない行為は罰せられない」(権力者によって平穏に生活している人が恣意的に罰せられない)という点に力点の置かれた考え方です。
 人の恣意で「こいつはけしからん奴だから永遠に閉じこめておけ」(人治主義)が通用するようでは困った社会になるので法治主義になったのです。
 ともかく、平穏に生活している人間にとっても、怖い世の中を怖くない世の中に変えると、別の意味で怖い世の中になる。と、いう程度のことは頭の片隅にでも置いておいていただければと思います。
最新記事
おすすめ




こんにちは
お下品でバカなので
ご注意ください。

最近の記事
カテゴリ
ブログ内検索
RSSフィード
いろいろ
リンク