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金美齢さんの神演説@靖国神社-終戦の日に思うこと



日本人として、胸のすくような気持ちがする演説です。

8月15日は終戦の日です。1945年8月15日正午、昭和天皇が第二次世界大戦で日本は負けたという宣言をラジオ放送で国民に伝えました。
それ以降、8月15日には、日本各地で戦没者を慰霊する会が行われています。
戦没者を慰霊するということは大切なことです。第二次世界大戦で亡くなった人たちがいなければ、今の日本の平和はありません。

一般的に「戦没者」というと、第二次世界大戦で外国人に殺された日本人のことと、とらえられていることが多いようです。しかし、私はそれには違和感を感じます。
戦没者とは戦争で亡くなった人のことです。それには外国の兵隊に殺された日本の兵士。外国の空爆で亡くなった一般の日本人。外国の戦艦に飛行機でぶつかっていって自爆した特攻隊の人たち。洞窟に逃げ込んだところを火炎放射器で焼き殺された沖縄の看護隊の少女たち、そして、日本人に殺された外国人も含まれると思うのです。それらすべての戦争で亡くなった人たちに「みなさんが犠牲になったおかげで、我々は今、平和に暮らすことができています。ありがとうございました。どうぞ、安らかにお眠りください」と思うことが、戦没者を慰霊するということです。これは未来永劫、続けていかなければならないことです。しなくなって、第二次世界大戦の悲惨さを忘れた時点で、世界は、第三次世界大戦に向かうのです。そんなことは絶対に避けなければなりません。

その中で、日本の兵隊さんに感謝するのが靖国神社の参拝です。これに何の問題があるのでしょうか。なぜ反対する人がいるのでしょうか。第二次世界大戦という悲劇があったことを忘れることが平和につながるとでも言うのでしょうか。
中国や韓国は、外交で自国が有利になるように靖国神社参拝に反対します。まあ、これは理解できます。これは平和や戦没者の慰霊とかとは関係なく、自国が有利になるための外交的戦略だからです。
しかし、不思議なのは日本人の中にも靖国神社参拝に反対する人がいることです。今の日本の平和は、日本の兵隊さんが死んだから出来上がったことなのに。それに感謝することになぜ反対するのでしょう。戦争は間違った行為だからでしょうか。それは戦争は間違った行為で、話し合いで解決するのが正しい行為です。でも実際に戦争はあった。あったからこそ、それが間違っていることを確信できるんじゃないでしょうか。

戦争の悲惨さをいつまでも忘れないことが、平和を作ると思います。だから、毎年靖国神社に参拝することは大切なんじゃないでしょうか。東京に住んでいなかったり、仕事のある人は参拝できませんが、終戦の日に日本の兵隊さん、そして世界中のすべての戦没者に感謝することはできます。これは絶対に必要なことです。
それに反対する人は、金美齢さんの言うとおり、恩知らずだと思います。
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Secre

目が覚めるような良い演説でした。
自分は右でも左でもありません。
でも生粋の日本人です。平和な時代に生まれ生きています。
誰が悪者なのか、そんな事を今討論しても意味がないです。
ただ戦争に身を投じ亡くなった人達は純粋にこの国の為に
いや、自らの家族や友人を守る為に戦ったんです。
諸外国の兵士も家族や友人、愛するものの未来の為に
戦っただけなんです。
誰も人を殺したいと思って戦争なんてしないです。
戦犯が悪か否かも自分には審判できません。
靖国だけではなく、世界中で戦争という悲劇に翻弄され
亡くなっていった多くの人達に平等に哀悼の念をおくる事が
平和な世界に繋がるのではないかと思います。

中国・韓国の政府が重視しているのは、外交上の優位を保ちたいという理由が強いと思いますが、中国人・韓国人にとってはそれだけではないということもきちんと理解しなければ、いくら戦没者追悼という理念を掲げても、それは「自分たちの心」だけを満足させる閉じこもりがちな歴史を構想し続ける結果になると思います。
「愛するものの未来」のために戦った人間がいるのと同時に、戦うことを強制した人間もいるのです。「愛するものの未来」というのは、戦争を戦うことを強制された人にとっても戦う理由となったこと、より強制した側にいた「戦犯」という(問題がある)存在を人間が作り出したこと。第二次世界大戦に関わった国は、それを歴史として考え続けなければならない責任があるのだと思います。第二次世界大戦で亡くなった全ての人に捧げる追悼とは、「ありがとう」だけでは済まされないのです。

終戦記念日を迎えて

靖国神社が日本人にとってどのような存在なのか?その前に、
外国から言われ、参拝を見送る政府要人たち・・・?(近隣諸国が、国家高揚の為の道具にされているのを承知で) 何故なんだろう? 戦没者の皆様は、この光景をどのように観るのか?
なんか、悲しく思います、この終戦の日を迎えて。
戦争を煽るとか、軍国主義とか言う前に、冷静に考えて欲しいなあと思うのは、僕だけであろうか?内地にいて、戦場の事をアレコレ批評するのは簡単なんだろうけど、一線で働いた人の犠牲を無駄にすることなく、魂に報いるためにも、なにが何でも、平和を継続させなければいけないと思う。
誰でも戦争は嫌いですよね。平和という言葉が、
近隣諸国の言いなりという意味を持つような世の中の流れなら、民族の魂までも奪う真の亡国である。

概ね同意なのだけれど、戦犯について触れられていないところにどうにも違和感を感じます。
日本はドイツなどと比べ、戦犯を裁かず、合祀にしてしまった部分があり、今現在においてもその戦犯達(本当に当事者)が政治を執り行っています。

福田に聞かせてやりたいわ

>日本はドイツなどと比べ、戦犯を裁かず

戦犯として処刑された人間もいるので裁かなかったというのは語弊があると思いますが。

戦犯っていうのは戦後「戦勝国によって作られた」ものでしょう?
だって捕虜にゴボウ食べさせたら、戦後「アイツは俺に木の根を食べさせた、捕虜虐待だ」なんていって戦犯にされた人だっていたのだから。

自己陶酔入ってますね

反対するひと全てを「恩知らず」と罵ってる演説が「胸のすくような演説」なのですか?
靖国に参拝する人だけが、英霊に感謝しているのですか?
自分の考え方に沿わない人間はすべて「売国奴」なのでしょうか?

一国の首相が靖国に参拝することについては、それぞれの考え方があって然り。
自由に議論すればいいと思います。

金美齢氏の英霊に対する感謝の念は共感するところもありますが、自分の意見のみを美しい言葉で飾り、他者の意見を「ナンセンス」「恩知らず」と罵るこの演説はあまり良い演説とは思えません。
氏は演説で「かつて軍国少女だった」とおっしゃっていますが、むしろ「今も軍国少女です」のほうがしっくりくるような演説ですね。

#f4RRH762さん
自己陶酔入ってるのはどちらでしょうか?
きちんとないよう理解していますか?
ちゃんと最初から最後まで聞きましたか?
他の話も一緒になっているのではないでしょうか

どのような演説が#f4RRH762さんの考える良い演説なのでしょうか
自分の意見を美しく飾るのは正当でしょうし
反靖国の意見も踏まえたうえでのコメントかと思いますが
反靖国の意見も褒め称えよと?

心情的には同意したいけど。

横からすみません。 
僕は#f4RRH762さんのおっしゃってるニュアンスもわかるんですよねー。これはいわばアジテーションですよね、論理ではなく感情に訴えかける点で。なんだろう、きっとあの戦争が始まったとき、そして戦っている最中、きっとこのような「演説」に胸を打たれて命を散らしていった若者たちも大勢いたんでしょう。  だから「今も軍国少女です」のほうがしっくりくる、というのは僕はわかります。それに、この方は台湾独立のために運動されてる方のようですが、台湾全体の風潮からしても、それはかなり「戦闘的」な部類の方なんですよね。
 
 こういう美しくて耳さわりのよい、反論のしようがない正論というのは、人をしばしば思考停止にし、自由な議論をする空気をつぶしかねない諸刃の剣です。でも、全体の力を一つのベクトルにまとめあげて叩きつけていく場合には必要なものです。戦争とか、学生運動とか、革命とか。つまりすごく「戦闘的」なのです。

 僕もうまく言えません。心情的には散っていった命への哀悼と感謝はすべきだし、精神的なシンボルとしての靖国の意義には概ね賛成だからです。内容には同意なのです。でも、こうした「戦闘的なアジテーション」に違和感を覚えない人が多いのだとしたら、それはそれであまり望ましいことではないように思います。いい演説だとは素直には思えません。

問題点2つ

私も英霊参拝という点では何の反対も無いのですが、心情的な違和感として

1)現在の靖国神社に皆さん行かれたことはあるでしょうか?
宗教施設というよりは、何やら政治結社とか戦争博物館の匂いがしていてイヤな感じを受けたのは私だけ?

2)例の戦犯合祀。兵損耗・敗戦に導いた張本人がおめおめと生き残った上、今度は英霊として祀ってくれというヘタレぶりは、日本人のメンタリティに合わないですね。
戦争指導者は切腹して国民にお詫びするというのが日本流で、そうすれば丸く収まっていたように思います

その通り

全くその通り!
というか、当たり前の考え方
自分が存在するのは、ご先祖様があって、先人達が戦争で戦ってくれたお陰であって、何の苦労もなくこの地に立っているわけではありません。
感謝するのは当たり前だし、参拝するこういなんて否定されるべき事ではないですよね。

ただ、戦争は避けるべきですが、日本を守るために戦争をするなら仕方がないと考えます。
戦争は起こすべくして起きるのではなく、避けようと努力して、日本を守るための最終手段だと思います。
あくまで最終手段
話し合いで、お互いが納得してすませられるならベストです。
ただ、日本が日本でなくなってしまう未来を戦争を回避したがために出来てしまうならば、それは一番悪いことだと思います。
過去の戦争も、全てが全てとは言いませんが、日本という国を守るためにおきたものであり、そのために亡くなっていったいった戦没者を敬わないとは何事か!と…
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