人生で一度だけ先生と呼ばれた日
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私は、「先生」と呼ばれる仕事の人は、だいたいすばらしい人か悪い人かに二分されると思うんです。
先生と呼ばれるのは、学校の教師やお医者さんや議員や弁護士です。
学校の教師には、教え子の人生に大きな影響を与えるすばらしい先生もいれば、生徒にわいせつな行為をするやつや、日教組教師までいます。お医者さんには野口英世もいれば安部英までいます。
すばらしい人と悪いやつの差が開きすぎていて、中間の人の印象が薄れてしまうのかもしれないのですが、どうしてもこの印象が強いです。
だからなのか、もし自分がなにかのジャンルでトップに立つような人間になっても、先生なんて呼ばれたくないです。
でも、私は10年以上前、ある人から「先生」と呼ばれてすごくうれしかったことが一度だけあります。
そのころ私は、「あめぞう」というネット掲示板にはまっていました。2ちゃんねるの前身になった掲示板です。そこに「文学板」というのがあって、当時はまだダイヤルアップ接続だったので、1日に1時間とかしか接続できなかったのですが、毎日のように書き込みをしたりして、楽しんでいました。
というのも、私は当時、大学で文章を書く勉強をしていて、私の周りには小説家になりたい友だちや詩人になりたい友だちがたくさんいたんです。私は小説や詩を読むのは大好きですが、書くのは苦手というか、こっ恥かしくて、インターネットが普及するとバーチャルとリアルの区別がつかない子どもに、大変な影響を及ぼすとか、そんな文章ばっか書いていたんです。
でも、課題で小説を書かなければならないことがあって、時々変な小説を書いたりしていたんです。
だから、あめぞうの文学板で、文学について討論するのがすごく楽しかった。
文学について討論するのは、決まった先輩と酒を飲みながらが常だったのですが、家に帰ってキュルキュル、ネットに接続するとあめぞうがあって、そこでたくさんの人と議論できて楽しかったです。
で、ある日、いつものように文学板を見ていたら、「私のことを小説に書いてください」っていうスレが立っていたんです。ほとんどレスはついていなかったのですが、興味半分でレスしてみたんです。「どんな内容を書いてほしいんですか?」って。そしたら、スレ主は「私と、別れた彼氏のことを、ひとつの小説にしてほしい」とレスしてきました。インターネットとバーチャルがとか、そんな論文ばっかり書いてる私に、いきなり、思い出を小説にして気持ちを整理したいと言われても、かなり無茶な要望ですが、私の下手な小説でも、スレ主の役に立てるのならば、文章を書くことをなりわいにしようと思っていた私には断る理由がありません。早速、パソコンのメアドを交換し、スレ主から様々な情報を聞きました。
スレ主はいくみさんという、たぶん10代の女性で、青森に住んでいる携帯電話屋さんの人でした。
私は青森に行ったことがないので、青森をひたすら想像しました。
まず浮かんだのが、モノクロームな街というイメージでした。雪が降ると綺麗だけれど、次の日にはタイヤの砂塵でグレーになった雪と泥の塊が道路の脇に積まれているイメージです。それと、石川さゆりの「津軽海峡冬景色」でした。情念に塗りつぶされて北へ向かう女の通過点。
しかも、いくみさんは失恋をし、どん底の気持ちになっています。
私の小説はどんどんモノクロの世界に引きずり込まれていきます。
しかし、いくみさんがなぜ私に小説を書いてほしいかを考えると、それはただ、起こったことを強調して書くいてほしいのではなく、その失恋を小説というひとつの「物」にして、引き出しにしまっておきたいからなんです。
それを、ひとつの自分を構成するパーツとして、パズルのコマのように自分の人生の一部にはめこんで、これからの人生でパズルを完成させていきたいからです。
青森にもデパートはあるだろうから、アナスイの洋服を買うシーンとかを入れたのですが、何か足りない。
それを考えていたら、ふとあることが思い浮かびました。
実は青森はモノクロの街ではなかったんです。
青森にはねぶたがあって、棟方志功の出身地で、恐山には赤い風車がたくさん刺さっています。
青森は、そのモノクロな自然環境が影響してか、人間の作った文化は本当の原色なんです。すごく熱い、ぎらぎらした赤が、青森にはあったんです。東京の人工的なきらびやかさではない、生の根本から来る極彩色が。
私は、そのころプリンターを持っていなかったので、原稿用紙100枚に小説を書いて、それをコクヨのファイルにとじて、いくみさんに郵送しました。
タイトルは「カラフル」にしました。
数日後、いくみさんからメールが来ました。いくみさんは当時ではめずらしくデジカメを持っていて、私の書いた小説のファイルを持った、笑顔の写真を送ってくれました。
私は、いくみさんが携帯を持って涙をこらえるシーンで「ストラップのピングーとピンガが無表情で笑いながらカチカチとぶつかっている」という文章を書いたのですが、そのシーンを気に入ってくれて、私の小説をとじたコクヨのファイルに、色鉛筆でピングーとピンガの絵を描いて、それの写真をメールで送ってくれました。
そして、メールの書き出しの文章は「小説家の先生へ」でした。
私はそのとき、人生で一度だけ先生と呼ばれました。
すばらしい先生か、悪い先生かはわかりませんが。
いくみさんに送った、「カラフル」という小説は、コピーが今も手もとにあります。
いくみさんは今頃何をしているのでしょうか?
幸せだったらいいな、今も私の小説を持ってくれていたらいいなって思います。
先生は今は小説ではないけれど、文章を書くことで生計を立てられるようになりました。
今度また、小説を書いてみようかな。
この動画も見たらいいよ。
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先生と呼ばれるのは、学校の教師やお医者さんや議員や弁護士です。
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すばらしい人と悪いやつの差が開きすぎていて、中間の人の印象が薄れてしまうのかもしれないのですが、どうしてもこの印象が強いです。
だからなのか、もし自分がなにかのジャンルでトップに立つような人間になっても、先生なんて呼ばれたくないです。
でも、私は10年以上前、ある人から「先生」と呼ばれてすごくうれしかったことが一度だけあります。
そのころ私は、「あめぞう」というネット掲示板にはまっていました。2ちゃんねるの前身になった掲示板です。そこに「文学板」というのがあって、当時はまだダイヤルアップ接続だったので、1日に1時間とかしか接続できなかったのですが、毎日のように書き込みをしたりして、楽しんでいました。
というのも、私は当時、大学で文章を書く勉強をしていて、私の周りには小説家になりたい友だちや詩人になりたい友だちがたくさんいたんです。私は小説や詩を読むのは大好きですが、書くのは苦手というか、こっ恥かしくて、インターネットが普及するとバーチャルとリアルの区別がつかない子どもに、大変な影響を及ぼすとか、そんな文章ばっか書いていたんです。
でも、課題で小説を書かなければならないことがあって、時々変な小説を書いたりしていたんです。
だから、あめぞうの文学板で、文学について討論するのがすごく楽しかった。
文学について討論するのは、決まった先輩と酒を飲みながらが常だったのですが、家に帰ってキュルキュル、ネットに接続するとあめぞうがあって、そこでたくさんの人と議論できて楽しかったです。
で、ある日、いつものように文学板を見ていたら、「私のことを小説に書いてください」っていうスレが立っていたんです。ほとんどレスはついていなかったのですが、興味半分でレスしてみたんです。「どんな内容を書いてほしいんですか?」って。そしたら、スレ主は「私と、別れた彼氏のことを、ひとつの小説にしてほしい」とレスしてきました。インターネットとバーチャルがとか、そんな論文ばっかり書いてる私に、いきなり、思い出を小説にして気持ちを整理したいと言われても、かなり無茶な要望ですが、私の下手な小説でも、スレ主の役に立てるのならば、文章を書くことをなりわいにしようと思っていた私には断る理由がありません。早速、パソコンのメアドを交換し、スレ主から様々な情報を聞きました。
スレ主はいくみさんという、たぶん10代の女性で、青森に住んでいる携帯電話屋さんの人でした。
私は青森に行ったことがないので、青森をひたすら想像しました。
まず浮かんだのが、モノクロームな街というイメージでした。雪が降ると綺麗だけれど、次の日にはタイヤの砂塵でグレーになった雪と泥の塊が道路の脇に積まれているイメージです。それと、石川さゆりの「津軽海峡冬景色」でした。情念に塗りつぶされて北へ向かう女の通過点。
しかも、いくみさんは失恋をし、どん底の気持ちになっています。
私の小説はどんどんモノクロの世界に引きずり込まれていきます。
しかし、いくみさんがなぜ私に小説を書いてほしいかを考えると、それはただ、起こったことを強調して書くいてほしいのではなく、その失恋を小説というひとつの「物」にして、引き出しにしまっておきたいからなんです。
それを、ひとつの自分を構成するパーツとして、パズルのコマのように自分の人生の一部にはめこんで、これからの人生でパズルを完成させていきたいからです。
青森にもデパートはあるだろうから、アナスイの洋服を買うシーンとかを入れたのですが、何か足りない。
それを考えていたら、ふとあることが思い浮かびました。
実は青森はモノクロの街ではなかったんです。
青森にはねぶたがあって、棟方志功の出身地で、恐山には赤い風車がたくさん刺さっています。
青森は、そのモノクロな自然環境が影響してか、人間の作った文化は本当の原色なんです。すごく熱い、ぎらぎらした赤が、青森にはあったんです。東京の人工的なきらびやかさではない、生の根本から来る極彩色が。
私は、そのころプリンターを持っていなかったので、原稿用紙100枚に小説を書いて、それをコクヨのファイルにとじて、いくみさんに郵送しました。
タイトルは「カラフル」にしました。
数日後、いくみさんからメールが来ました。いくみさんは当時ではめずらしくデジカメを持っていて、私の書いた小説のファイルを持った、笑顔の写真を送ってくれました。
私は、いくみさんが携帯を持って涙をこらえるシーンで「ストラップのピングーとピンガが無表情で笑いながらカチカチとぶつかっている」という文章を書いたのですが、そのシーンを気に入ってくれて、私の小説をとじたコクヨのファイルに、色鉛筆でピングーとピンガの絵を描いて、それの写真をメールで送ってくれました。
そして、メールの書き出しの文章は「小説家の先生へ」でした。
私はそのとき、人生で一度だけ先生と呼ばれました。
すばらしい先生か、悪い先生かはわかりませんが。
いくみさんに送った、「カラフル」という小説は、コピーが今も手もとにあります。
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テーマ : ▲▽ (*´Д`*)ハァハァする瞬間 ▲▽
ジャンル : アダルト
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自分の好きなことや得意なことで人に喜んでもらえたら
嬉しいですよね。
小説、ぜひ書いてください
嬉しいですよね。
小説、ぜひ書いてください
そうですね^^
だれかに喜んでもらえることはうれしいことです。
でも、小説はちょっと書けないかもしれないです。
ずっと書いていないので。しかも、むかしよりたくさん小説を読んで、みんながすごいことがわかってしまったので。
だれかに喜んでもらえることはうれしいことです。
でも、小説はちょっと書けないかもしれないです。
ずっと書いていないので。しかも、むかしよりたくさん小説を読んで、みんながすごいことがわかってしまったので。
とても不思議で素敵な一件ですね。
このお話自体を小説で見れたらなとも思いました。
ありがとうございました。
このお話自体を小説で見れたらなとも思いました。
ありがとうございました。
>い様
もう10年も前の話しで、
記憶もあいまいです。
パソコンも買い換えてしまったし、いくみさんの写真はありません。あるのは頭の記憶の中だけです。
でも、今ここにその小説はあります。
不思議な感じです。
小説は、書けるパワーがたまったら、
挑戦してみます。
もう10年も前の話しで、
記憶もあいまいです。
パソコンも買い換えてしまったし、いくみさんの写真はありません。あるのは頭の記憶の中だけです。
でも、今ここにその小説はあります。
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